高麗人参の持つ深い歴史について

高麗人参には深い歴史があり、最初に文献として紹介されたのは、紀元前1世紀に記された文字教本の「急就草」の中の「蔘」と言われています。その後、西暦500年頃にまとめられた漢方の薬物書のルーツともいえる「神農本草経」にて、「寿命を延ばす」高麗人参の薬効が記されています。

高麗人参が伝わったのは奈良時代

高麗人参が日本に伝わったのは、739年の奈良時代に、当時の朝鮮半島の国の「渤海(ぼっかい)」からの使者によって、聖武天皇に「30斤」献上されたのが最初の記録として残っています。

※1斤は、当時の中国では226.67グラムとされていたため、30斤ということは、およそ6800グラムと考えられます。

徳川家康と高麗人参

高麗人参は、江戸時代の初期までは朝鮮からの献上品として、身分の高い人達だけに愛用されていました。初代将軍の徳川家康が愛用していたという説もあり、家康の長寿の要因のひとつなのではないか?とも言われているようです。

朝鮮人参座

高麗人参が庶民に普及したのは、1674年の江戸に設けられた「朝鮮人参座」が大きく影響しています。それ以前も対馬藩が輸入した高麗人参を江戸屋敷向けに販売をしていましたが、本格的に庶民が購入できるようになったのは、朝鮮人参座ができてからと言われています。

朝鮮人参座は、時には徹夜で行列ができるほどの繁盛だったそうで、おそらく高麗人参の薬効成分の噂が噂を呼び、人々を集めたのかもしれません。ただし、高麗人参は非常に高額だったことから、借金をしてまで購入したり、中には盗む人も存在したようです。

人参代往古銀

高麗人参は朝鮮からの輸入に頼っていたため、五代将軍徳川綱吉の時代には、「人参代往古銀」と呼ばれる銀貨を発行してまで購入するほどだったようです。人参代往古銀は、当時の慶長銀と比較して、25%から27%ほど高価な銀貨と言われています。

高麗人参の栽培

プレミア価格がついてしまった高麗人参を、朝鮮からの輸入に頼らずに、どうにか日本でも栽培できないものか?と考えた八代将軍徳川吉宗は、優秀な農学者や医師などに命じたおかげもあり、1728年の日光(栃木県)にて高麗人参の栽培を見事成功させました。

この成功により、その後松江(島根県)や会津(福島県)などで栽培されるようになったことで、朝鮮からの輸入だけに頼ることなく、安定した供給につながりました。

ちなみに高麗人参の日本名である「オタネニンジン」は、幕府から種を分けてもらって栽培されたことが由来となっています。

まとめ

古くから薬効成分があることで親しまれてきた高麗人参は、1960年頃から薬効成分が科学的に分析されるようになりました。特にサポニン(ジンセノイド)は、優れた抗酸化作用があることから、アンチエイジングにつながる成分と言われています。